2006年01月29日
佐藤イツキさんのこと
ちょっとした思い出話です。
佐藤イツキ(本名 佐藤斎)さんが亡くなったのは2000年2月8日のことだった。年齢も近いし、ライターとしても互いにあれこれと愚痴など話してた仲だったな。
元々、ソフトバンクのOS/2 MagazineやDOS/V Magazineに執筆しておられたイツキさん。同じ雑誌に何度も掲載されたねぇ。締め切りがほとんど一緒なので、深夜(といっても明け方に近いか…)に互いに励ましのTelをして一服したりしてましたねぇ。夜中にWindowsの重大なファイルを壊してしまって、ファイル復活のためのフリーウェアをおせーろー…と電話があったりしたよな。
と、書いているうちに次々と懐かしいシーンを思い出してしまう。
イツキさんは花火と緑と…そういう写真を写すのが大好きだった。夜明け間際にベランダから朝焼けの様子を撮影したり、夕日を撮影したりして、「緑の散歩道」やら「今日の一枚」にアップロードしてた。
当時はWebサイトの更新はblogという楽な方法はまだなかった。毎日の更新のために、わざわざhtmlエディターで手書きしてた。Adobe PageMillが大好きで、それを使ってライティングと画像のレイアウト。その後ftpも自動でやってたはずだ。当時はWinと3webのサーバーを持ってて、Winの方をメインに使ってた。
1998年あたりからイツキさんのWinのサーバー容量がかなりギリギリになってしまったので、私が3Webの社長を紹介して、無料でサーバーをお借りすることができた。人気サイトだったので宣伝の意味もあって、社長も快く引き受けてくださった。その社長が亡くなったのが1999年5月。
Windows 95が出る前の話だから、1995年10月よりも前の時代。1994年とか93年とかそのあたりの頃だろう…。大昔のお話だ。
このころ、一般的に使われているOSといえば、DOS+Windows 3.1が主流だった。DOSの上にWindows を「被せる」ようなインストールが必要で、一般の人々にはフロッピーディスクを何十枚も使ったインストールはかなりつらいものだった。
あのころ、OS/2という奇蹟のOSがIBMから登場した。OS/2 2.xからかなり使いやすくなり、雑誌の付録にもついてきた時代だ。
そんな時にOS/2 Magazineに寄稿してました。イツキさんも時々かかれていましたなぁ。二ヶ月に一回の発売なんだけど、監修の広瀬隆さんの目が厳しくって…。深夜2時、3時にTelがあったり、またそんな時間にTelしてみてもコール一発で「はいっ」てとるんだからなぁ。イツキさんちからも深夜とか明け方とか、逆に午前11時頃とか、24時間平気で電話がかかってきてたなー。
イツキさんちはお子さんがいらして、朝はきちんと起床される。昼間にしっかり仕事するタイプの人。で、夕方になると散歩がてらデジカメをぶらさげて「今日の一枚」「緑の散歩道」を撮影に行くわけだ。
2/8の事。
イツキさんのページが更新されていなかった。
なんだか変な雰囲気。
ちょい心配だったのでイツキさんにメールしてみた。
2000年 2/9は水曜日。ジムに行く予定の日だったので夕方からジムにいったんだけど、そこで携帯にTelがあった。どうやら、イツキさんの身内の
方から、「昨夜から帰宅してません」という連絡。こころあたりに次々と連絡してみる。が、しょせん、兵庫県と神奈川県。つながりもライターや編集関係に限られてしまうし、そんな人たちにはもう連絡は届いている。
そういえば、ジムからかえってきたら、サーバーマシンにつんであるSCSIハードディスクが「ガラ…ガラ…」という異常な音を立てて、ご臨終されてたのをよく覚えてる。
心配しながら待ってたら、10日ほどしてイツキさんの自転車が発見された。どうやら、近所の漁港の倉庫あたりで発見されたらしい。
港からはイツキさんのご遺体が発見されたという。2/18日の事。
おそらく、2/8の夕方、イツキさんは「今日の一枚」を撮影しに、ある漁港を訪れたのだろう。当日は寒波よりも、強風で注意報が出ている日だった。暦の上では春とはいえ、北風の強いその日の夕方、イツキさんが漁港で撮影している最中に、どんな原因かは知らないけれど、海に落ちてしまったんだろう。イツキさんの腰の周囲には数台のデジカメがケースに入れて装備されていたそうな。
イツキさんは自動車の免許を持たない人でした。ほとんどの外出は自転車。それに、なぜだか水に弱い。いわゆる「カナヅチ」。
いきなりの水の中。腰には重たいデジカメの数々…。
逝かれる時の思いはどんなだったのかわからない。が、できれば苦しまずに、一瞬のできごとであってくれたらと思う。
イツキさんは水底でダイバーによって発見されました。21日のお別れ会には私は行けませんでした。友達にかわりにいってもらった、そのときのお礼の「花の種」はなぜだかまだ手元にあります。
全部保存してあるOS/2 Magazineをたまに読み返したりしながら、イツキさんの事を考えたりするんです。
あれから6年。
もう、思い出として語っても、大丈夫だと思ったので、書いてみた。
もしもイツキさんのお嬢さんがGoogle経由でこのページに来られたら、お伝えしたいことがあります。
「君たちのお父さんは、とっても素敵な人でした。多くの困った人たちに的確なアドバイスをしてくれました。毎日のちょっとした思いやりのある写真は、暖かい気持ちにされてくれました。原稿にはいつも愛がありました。お父さんの思い出を大切にしてください」
Trackback on "佐藤イツキさんのこと"
このエントリーのトラックバックURL:
"佐藤イツキさんのこと"へのトラックバックはまだありません。
初めまして。京都に住んでおりますせりかといいます。KIPを拝見し、ネットで佐藤イツキさんを検索してここにたどり着きました。
6年経って書かれたコメントには、単なる追悼を超えた思いが含まれていて、思わずコメント入れてしまいました。見ず知らずなのにすみません。
次号のKIP、七回忌のお話も楽しみにしております。私もメルマガと2箇所でブログを持っており、職業はインターネットショップのライターをしています。写真を撮ろうとして事故に遭われたという経緯に、なんとも言えない思いが重なりました…。
http://celica-trendcheck.cocolog-nifty.com/
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000030716
ありがとうございます。
次回も気持ちを込めて書きたいと思います。